いつまでくすぶり続けるの?

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30代半ば、世の中に斜に構えるのやめようと思う

ブログ書いていると何の影響か、やたら世の中のこと、自分の周りのことを批判的に見ている気がする。

当たり前を当たり前に見ないことが大切なときもあるけれど、常に批判的な視点でばかりあたりを見渡すのもなんだか疲れてきた。

これこそまさに「斜に構えている」。

 

斜に構えているとは

正確な意味は、身構える意味もあるようだけど、ここで使っている意味は「物事に正対しないで皮肉やからかいの態度」という意味で斜に構えている。

 

仕事をして家庭をもって、いろいろ人間関係で面倒なことばかりあるとつい批判的にまわりを見たくなることもあるけれど、案外、自分が少し考え方を変えれば見えてくる景色も違ったり、その後の展開も変わったりするもんだと最近感じるようになった。

 

批判的に見ないように心がけたこと

とにかく相手を受け入れる意識を持つこと。

忙しい時に声をかけられるとつい「うっとうしい」という気持ちが出てくるのはきっと私だけじゃないよね。

でも、ちょっと待って。

相手も自分に用事があって声をかけたわけで、自分の今の不機嫌な気持ちを相手に与えることは自分にとっても相手にとってもその後の影響に良いことは一つもないじゃないか。

今はイライラしているだろう、うっとうしいなと感じるであろう、しかし、あと10分後にはその感情は解消されているじゃないか。

10分後に気持ちよく相手と話をして、問題を解決できるのであれば今の負の感情を連鎖させる意味は何もない。

批判的な視点で物事を考えると、それは自分が世界の中心のような感覚でしか物事を考えにくくなるから、自分にとって少しでも障害となるとすぐに負の感情が生まれてしまうように感じる。

普段から一緒に過ごしている仕事の仲間や家族を受け入れられなければ、世の中のことだって素直に受け入れられるわけもない。

まずは自分にとって近い相手を受け入れることが世の中を受け入れる第一歩じゃないだろうか。

・・・といっても、どうしても感情を抑えられないこともあるけれど。Σ(・∀・;)

せめて、あまりにもなんでもかんでも批判的な意識ばかり持つことは辞めるようにしたい。

 

斜に構えることを辞めたことで何が変わったか。

特に大きく変わったことはない。

それまでと同じように、これからも同じように周りは見えるのかもしれないけれど、ちょっと変わったことは、「心の余裕」。

自分の気持ちの中に少しだけ心の余裕ができた気がする。

批判的に物事を見ることは、言い方を変えると「粗さがし」。

悪いところばかりを見つけようとしている行為だ。

 

だけど、少し気持ちの余裕ができるとこれが変化してくる。

「いいところ探し」が出来る余裕が持てるようになった。

 

人の良いところ探しは、粗さがしするよりも当たり前に気持ちいいこと。

粗さがしをしていると、人の心は荒んでいる。

どこか悪いところを見つけようとブラックな自分がそこにいる。

だけど、良いところを探そうとしていると優しい気持ちで相手を見ている。

いい気持ちで相手を見るか、悪い気持ちで相手を見るか、このちょっとした気持ちの差は結構大きい。

周りに与えるオーラもそれで変わってくるし、悪いオーラには悪いオーラしかやってこない、良いオーラには良いオーラがやってくる、根拠はないけれどそんな感覚が最近はある。

 

これで斜に構えた自分とさよならできるか

たぶん、今の状態をずっと保つことは難しい。

なぜなら、自分の体調でも世の中の捉え方は変わってくるから。

今はそんなに体調も悪くなく、仕事も余裕がある、プライベートにも問題がない。

だけど、この中のちょっとした乱れが、また批判的な私を呼び起こすかもしれない。

だから、このブログに今の状態だけでも記録しておいて、忘れてしまいそうな時にはこの時を振り返るようにしたい。

今感じている感覚や感情を少しでもすぐ思い出せるように。